1910~1948年 (故鈴江武彦による回顧録から)
初代所長、鈴江近太郎(徳島出身)は、蔵前高専醸造科を卒業し同時に野田醤油株式会社(亀甲萬)に入社して10年間勤務、その間に同社研究所長として醸造機械の改良を重ね、著書も出版したが、結核で倒れ、知り合いの特許局審査官より弁理士業をすすめられ、神楽坂の自宅で特許事務所を開業した。事務所周辺はとても楽しい場所であったに違いない。(絵:飯田橋時代1915年 東京市小石川區江戸川町一番地)
近太郎の自宅の事務所から近い国鉄飯田橋駅近くに土地付き家屋を買い、そこに事務所を移した。その他に倉庫は堅固なものを近くで借り、事務所とは別の場所とした。この時すでに廃業していた弁理士先生よりご本人所有の全商標公報を譲り受け、この倉庫に格納し、商標の仕事に役立たせた。
1923年の関東大震災で事務所は焼失したが、倉庫は安全であった。この事務所空地に当時としてはシャレタ新ビルを建設した。倉庫を強固にしておいた結果、商標公報は全部残った。一方、特許局は全焼してしまったので、商標の登録簿が焼けてしまった。このため全商標権者より再登録の申請をさせ、これにより早急に回復させる手段をとったので、公報を所持する事務所としては大変有用なものとなった。
当時の事は私(武彦)も時々公報整理の手伝いに行ったのでよく覚えている。特許事務所の1階は特許部門で初代所長の娘婿の雨宮弁護士と一体とした。2階は商標部門で、外国への出願も多くあり、満州には支店を設けるなどして、段々と手広くなっていった。
1910年(明治43年) | (創立者)所長 鈴江近太郎(鈴江武彦伯父) |
1915年(大正4年) | 飯田橋に事務所移転 鈴江長次郎(鈴江武彦父)「鈴江特許事務所」に協力 |
1922年(大正11年) | 鈴江近太郎 弁理士会常議員就任 |
1927年(昭和2年) | 事務所新築 |
1928年(昭和3年) | 鈴江武彦誕生(3月30日) |
1944年(昭和19年) | 鈴江近太郎静岡に、鈴江長次郎徳島に疎開 鈴江武彦、旧制成城学園高等学校入学 三木武雄(武彦義兄)、慶應義塾大学工学部教授就任 |
1947年(昭和22年) | 代々木に「三木武雄特許事務所」開設(長次郎協力) 鈴江康平(近太郎長男)東大工学部講師(工業所有権法)就任 |
1948年(昭和23年) | 鈴江武彦 弁理士試験に合格 |