2006年~ (故鈴江武彦による回顧録から)

 清水建設株式会社にお願いし、耐震と土地の狭さを考えて地下2階、地上9階建ての強固な鉄骨、鉄筋コンクリート製の自所ビルを構築した。この場所は江戸時代琴平神社が近くにもあるように京極家の跡地であり、若し文化物でも出ると建設期間が長く延びてしまうので、掘り出す土地の中味が心配ではあった。しかし出たものは酒トックリが主で、これらは所内に展示し、また江戸時代地盤安定化のためか極めて多量の松杭が深く打ち込まれて地盤を強固にしていることが分かった。

 ビルのエレベータは来客用2基と、セキュリティ化された各事務室間のみのエレベータ1基として、第一にセキュリティを重んじて区別した。防災についても全館にスプリンクラーを配し、ホース式消火器、置き消火器、外階段を設け、また各室の窓の柱と柱の間に接続させて事件ファイル乃至図面を置けるようにした耐震性のファイル入物箱をすべての階に設けた。ビル内は「虎ノ門」ということで大きい虎の像を玄関入口に配し、防犯カメラ、防犯センサーをガラスに付属させ、そして進入口及び各事務室は非接触カードですべてカード使用者の入出時刻が記録され、又タイムカードも電子式で入退室時刻が検出されるようにした。勿論所内ランは管理用ランと連絡用ランとインターネットを区別し、ウィルスの侵入排除、各種妨害、密入、密出ソフト対策、顧客との各種通信装置を備え、コンピュータをシステム開発室が中心となり一括管理し、事務の安定と法律や事務の流れの変化に対応している。

 ビルは烏森通りに面しており飲み屋、食物屋なども多いところだが、現在マッカーサ道路という極めて大きい道路が虎ノ門―新橋間にできることになっているので、今後の環境がどのように変わるのか分からない。

 鈴江代表は病気がちであるため、2004年に所長を退任、代表弁理士となり、河野弁理士が所長になった。それから5年が経過し、その段階で私(武彦)の娘婿である蔵田弁理士を所長にした。これにより2009年から鈴江代表、蔵田所長、河野会長という体制に変わった。

 創立100周年に私(武彦)が弁理士登録以来59年目となり、共に仕事をしてきた人は定年となり、今は若い人の時代でグローバル化した時代に適合するやり方が必要であるが、過去100年の時代と比較して色々な面で今までの発展とは異なり、この3年以後を見つめてこれからの事務所の有り方を考え、発展より安定した社会的な貢献ができる事務所にしたいと願っている。

警備員
事務所内
受付

■ 事務所の歴史 ■
2006年(平成18年)

自社ビル(スズエ・アンド・スズエビル)に移転

2007年(平成19年) 風間鉄也「瑞宝小綬章」叙勲
2008年(平成20年) 事務所新体制●鈴江武彦会長が代表に、河野所長が会長に、蔵田副所長が所長にそれぞれ就任●高倉成男入所
2009年(平成21年) 事務所創業100周年事業の一環として講演会等実施
2010年(平成22年) 鈴江武彦逝去
2013年(平成25年) 鈴江武彦代表の法人化の意思に基づき「特許業務法人スズエ国際特許事務所」を設立