1970~1985年 (故鈴江武彦による回顧録から)
虎ノ門4丁目の17森ビルは、森ビルの本社が移転し、森ビルの中心ビルになるとのことであり、この本社ビル内に当事務所が部屋を借りられるとのことであったので、ここに申込み、ワンフロアーの半分を借りて事務所全部をまとめた。この頃から外内、内外とも出願が多くなり、特許庁より実力者(電気、機械、化学、意匠、商標の実力者)に入所していただき、その先生方を外国向けの各部門別のリーダーとする一方、所内で育って来た各部門別弁理士は組織の長とすることで、鈴江特許事務所の重みを増し、充実した事務所を作り上げることができた。17森ビルには東芝のコンピュータ事業本部があり、その事業部長が大学の同級生であった関係で当時のトスバック(オフィスコンピュータの東芝商標名)を用いて事務管理のソフトと事務の流れを作り出した。
しかし当時は一台のオフコンが事務管理の中心であり、各自が一台ずつ持っていない時代で、一人一台ずつ自分用のが出来ればよいなと思っていた。その時にトスワードという一人一台ずつ翻訳、明細書作成、チェックにも使えそうな東芝ワープロが販売されたので、これの利用を考え、使いたい人は使ってよいとして、手書きの人はそれでもよいとして始めた。3年位の間に自然と全員が使用するようになった。その後はワープロからパソコンへと全員が変更した。
この時代、仕事後の幹部勉強会が頻繁に行われ、又従兄の播磨先生を講師とした毎月の勉強会を行い、更にQC活動の本部の日科連の理事長(元科学技術庁事務次官)で従兄の鈴江康平氏(初代当所所長鈴江近太郎の長男で、後に当所の会長として入所)と話しをしている中で、QC活動が当所のため、事務、技術の創造改善につながると考え、これらを一体とした鈴江工業所有権研修所の構想ができてきた。また若い弁理士を作るために新卒の大学工学部卒者を多数採用し、所内指導者の下で一年間集合研修を始めた。
17森ビルは愛宕山に近く、山上の愛宕神社近くにはNHK資料館があり、当時、桜の見頃のときは茶屋も出て、夜も桜見物でにぎわって楽しむことができた。ただ所員の皆さんにとっては繁華街もなく、華やかさもないので銀座時代が良かったとよく云われてしまった。
1970年(昭和45年) | 虎ノ門(第17森ビル)に移転 |
1971年(昭和46年) | 鈴江武彦 弁理士令規委員会委員長就任 (財)生活用品振興センター審査人会審査長就任 特許権等年金納付管理をコンピュータ化 |
1975年(昭和50年) | 鈴江武彦 発明協会理事就任 鈴江武彦 東海大学講師就任 経営評議会発足 |
1976年(昭和51年) | 「鈴江内外国特許事務所」に改称 鈴江武彦 通産省弁理士審査会常任委員就任 鈴江武彦 日本弁理士協同組合理事就任 |
1977年(昭和52年) | 第1回部別研修会を発足(QC活動を本格的に導入) 鈴江京子鈴江総合研究所社長就任 |
1978年(昭和53年) | 白根俊郎入所 保養所「熱海荘」開設 |
1979年(昭和54年) | 村松貞男入所 |
1980年(昭和55年) | 創業70周年(鈴江武彦 弁理士登録30周年) 河野哲入所 事務所研修会発足 |
1982年(昭和57年) | 鈴江武彦 中央大学理工学部講師就任 オフコンによる全機種のコンピュータ化完成 |
1983年(昭和58年) | 鈴江武彦 黄綬褒賞受賞 |
1984年(昭和59年) | 鈴江武彦 弁理士会企画委員会委員長就任 鈴江武彦 日本弁理士協同組合常務理事就任 鈴江忠彦入所 |
1985年(昭和60年) | 鈴江武彦 弁理士会館建設特別委員会委員長就任 鈴江武彦 中央大学理工学部講師就任 鈴江康平 勲一等瑞宝章叙勲 橋本良郎入所 |